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ピジン語、日本で発見!?多国籍の国際クラスでのみ通じる会話…

日本語教師をめざす方

かつて日本語教育能力検定試験のために勉強する中で、「ピジン語」というものの存在を知りました。

ご存じですか??

Wikipediaの説明は、こちら⇩⇩⇩

現地語を話す現地人と、現地語の話せない外国語を話す貿易商人などとの間で異言語間の意思疎通のために互換性のある代替単語を用い自然に作られた接触言語で、共通言語が無い複数の集団が接触する際にコミュニケーション手段として形成される。

ピジン言語 – Wikipedia

同じ言語を持たない人同士が何とか交流するために、お互いの母語をbaseにして無理やり(!)作り上げた言語のことです。

ある一定の地域だけで通じる言語です。

・・・へえ。おもしろいなあそういう言語があるんだなあ

と、当時は思っただけで、私が実際にそれに接する機会があるとは思いもしませんでした。

が!

ありました!

あっ!これって、もしや、ピジン語ってやつなんじゃない!?

と思った例をご紹介します。

某専門学校の留学生のクラスで教えていた時の話です。

そこには、日本語学校を卒業した留学生だけでなく、定住者在留資格等を持つ「外国とつながる子ども」達も一定数入学していました。

その中の複数の学生たちは、専門学校に入学する前、同じ公立高校の国際クラスで学んでいました。

彼らが話していた言語、それがまさにピジン語ではないかと思います。

とても不思議な言語でした

日本語とタガログ語とスペイン語が自然な感じで混じり合い(歴史的な背景から、名詞などはかなり共通のものがあるそうです)、その中にときどき英語も混じる・・・という、複雑で独特な言語なのです

(※もしかしたらフィリピンでタガログ語とスペイン語が接したとき、そこでもピジン語が発生したのかもしれません

日本人の私が聞いてもはっきりとは理解できませんでしたが、彼らはその言語で話しながら同じところで笑い、同じところで嫌な顔をして・・・

つまり、とても自然に使いこなしていました。

それはその公立高校出身者だけの間で使われていて、一般的な日本語学校の出身者たちとはなんとなくグループが分かれてしまい、クラス内が二分化されていました。

(とはいえ決して仲が悪かったわけではありません。そこはさすが専門学校、大人同志の関係ですから。でもこれがもし中学校だったら、よろしくない事態に発展したかもしれません)

日本語学校出身者たちはお互いに日本語でコミュニケーションを取っており、そのピジン語的な言語はだれもちゃんと理解はできていませんでした。

一部、ブラジル出身の人がある程度理解できていたかもしれません。スペイン語とポルトガル語はとてもよく似ているといいますから。

他の人はところどころ聞こえてくる英語と日本語から、なんとなく話の内容を想像する、という程度の理解だったようです。

ちなみに私の理解も同じでした。

先ほども書きましたが、公立高校の出身者たちは、所謂「外国につながる子ども達」です。

彼らは、自分の意志ではなく、親の都合で日本に来ました

自分の意志で留学し、日本語学校で一年から二年間、毎日毎日みっちり日本語だけを勉強してきた留学生たちとは、やはり違います

公立高校に入学するにあたって勉強はしたと思いますが、その入試は「外国につながる子」向けの特別な入試です。

正直、そんなに日本語ができなくても、入学できるものです

(もちろん高校によっては競争率が高い難関校もあるでしょうけれど)。

彼らの多くは小学校高学年、あるいは中学校になってから日本に来ており、学校でサバイバル的に身に付けた日本語だけをもって高校に入りました。

高校に入学後、日本語の授業もあったそうですが、日本語学校のようにみっちり基礎から勉強したわけではありません。

そして彼らが高校で入ったのは、同じような境遇の子が集まる国際クラスでした。

母語も、日本に住んでいる年数も違う者同士がなんとかしてコミュニケーションを取りながら、同じ教室で一緒に過ごさなければなりません。

・・・こういう事情で、国際クラスのピジン語ができあがったのでしょう。

聞いているとおもしろかったです。

Oh, me これ don’t want! ^+。>%#’( けど、歩きします~

つかれる~、でもyou やる しかたないね~ #$&”¥校外学習*;#|((∀$ だから~ 

Noooo! %=¥#~✕@`]] けど、me もやる~

・・・みたいな。

ちなみにでたらめの記号を並べたところは、タガログ語もしくはスペイン語の言葉です。

彼らの母語はタガログ語とスペイン語でしたが、この二つの言語は似ていて通じ合うようで、高校に入った頃からすぐに意気投合したと言っていました。

もちろん私にその説明をしてくれたのは、日本語です。

(ちなみに上の会話は、彼らが校外学習である施設へ歩いていくのが遠いから嫌だ、だけど何らかの理由で歩いていくしかない、、、というような内容)

さて、彼らは親と一緒に来日し、途中から日本で教育を受けています。

定住者在留資格の人もいれば、成人した時に日本国籍を選んだ人もいました。

おそらく日本にこれからも定住することになるでしょう

彼らにとっては日本語母語話者の中に入るより、この言葉が通じ合うコミュニティの方が楽しく、生きやすいように見えました。

もし彼らが今後もずっとそのコミュニティを中心に生き、その中で結婚し、子どもを産み育てていく・・・ということになるなら、このピジン語はいずれ「クレオール語」になっていく、なんてこともあるのかな?・・・なんて妄想しました。

ちなみに、クレオール語とは、こちら⇩⇩⇩

意思疎通ができない異なる言語圏の間で交易を行う際、商人らなどの間で自然に作り上げられた言語ピジン言語)が、その話者達の子供たちの世代で母語として話されるようになった言語

クレオール語-Wikipedia

やはり日本語教育能力検定試験の勉強で知った言葉です。

・・・妄想の行き過ぎでしょうか。

でも、これだけたくさんの外国人が日本で働き始めていて、彼らの子どもたちが日本で育っているところを見ると・・・可能性は、なくもない、かな???

私は一介の日本語教師に過ぎません。

専門家ではありませんので、ピジン語とかクレオール語の理解が浅く、もし間違っていたら申し訳ありません!

ただ、彼らの日本語習得の形が、日本語学校育ちの人たちと明らかに違うので、とても興味を持っています。

もし皆さんも身近にそういう人たちがいたら・・・ぜひ、会話にちょっと耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

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