昔々、私が国語教師から日本語教師に転職したばかりのころ、
「国語の先生と日本語の先生って、何がちがうんですか?」
と質問され、ポカンとしたことがあります。
私にとっては「まったくの別物」だったので。
でもこれ、その後まったく違う人からも聞かれたことがあって、
もしかしたら日本語教師という仕事になじみのない人にとっては、ごく一般的な疑問なのかな?と思いあたりました。
そこで、国語教師と日本語教師がどれほど違うものなのかをまとめてみました。
国語教師
教える対象は、母語(=第一言語)が日本語である人ですから、主に日本人です。
年齢層は下は小学生から上は高校生まで。
母語なので当然、生活に必要な会話や読み書きは年齢なりに自然に身に着くという前提です。
私は高校教師でしたから、一般的な成人の日本人が使うのとほぼ同じ語彙や漢字を使いながら授業を進めていました。教師による「語彙コントロール」(授業中に使う言葉や表現を、既習のものに制限すること。←日本語教師には必須の技術です)などは不要でした。
次に、国語の授業の目標ですが、高校国語科の学習指導要領「教科の目標」に次のような文章があります。
”国語で理解し表現する資質・能力は,人々の知的活動や創造力が最大の資源である我が国において,社会の変化に主体的に対応できる力を支える基礎的・基本的な資質・能力として,今後一層必要性を増してくると考えられる。また,そのような国語の資質・能力を総合的に身に付けていくことは,人間形成の上でも必要不可欠なことである。”
さらに、下のような一文も。
”言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を~略~育成することを目指す。”
【国語編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 (mext.go.jp)
小難しく書いてありますが、言葉や文法を教えること自体より、それを通して物事に「主体的に対応できる力」、物事を「理解」し「表現する資質・能力を」育てることに主眼があるようです。
上の「教科の目標」引用の中にあるように、「国語【で】理解し・・・」なのです。
決して「国語【を】理解し・・・」でないところがポイント。
高校生にとって大切なのは、人として成長すること。そのために必要なのが母語=日本語の教育。母語を使ってもっと思考を深め、判断力・表現力を磨けるようにサポートをしていくことが国語教師の仕事です。
日本語教師
対する日本語教師が教える対象は、母語(第一言語)が日本語ではない人。
彼らに第二(あるいは第三・第四…)言語としての日本語を教えるのが仕事です。
対象は、小さな子どもを除き、ほとんどが母語をしっかり身に付けた後の人たちですから、教える方にも教わる方にも、日本語を使ってより深い思考ができるように…判断力を磨くために…などと考える人は、まずいません。(そういうことは母語でやるべきことです。)
日本語を学ぶ目標は、生活上の「ツール」として使えるようになることです。
学ぶ理由はさまざまです。「日本で進学したい」「日本で働きたい」「日本の文化(伝統文化からポップカルチャーまで人によって興味の範囲はいろいろです)を理解したい」等々。
学習者は、こうした希望を叶えるツールとして必要だから、日本語を学ぶのです。
母語ではありませんから、自然に身に着いている日本語というものはありません。国内の日本語学校には、ほぼゼロに近い初級学習者がたくさん入学してきます。彼らに、多くの場合は日本語を使って、日本語を教えていきます(←直接法と言います)。
つまり、教師の授業方法も、教える時に使える言葉(語彙)も、まるで国語教師とは違います(上記の「語彙コントロール」が必須です。もしコントロールをしないと、学生は知らない言葉を理解することに必死になり、肝心の教師が一番伝えたい内容が伝わりにくくなってしまいます)
ここでちょっと想像してみてください。
自分がどこか見知らぬ国に行って、その国の言葉を教えてくれる学校に入ったとします。そこで、まるで分からないその国の言葉を、どのように教えてもらうと理解できると思いますか??
日本語教師は絵や写真、ビデオ、ジェスチャー等々を駆使して、それをやっています。それが仕事です。・・・おもしろそうだと思いませんか?・・・はい、おもしろいです!
(これは初級クラスの場合です。中級上級クラスになるとまた少し状況が違います。)
違いの具体例
大きく違う例を一つあげるとしたら、文法の教え方でしょう。
たとえば、動詞の活用。
国語教師は、「未然形」「連用形」「終止形」…と教えます。
日本語教師は、「ない形」「ます形」「辞書形」…などと教えます。
たとえば「話す」という動詞なら、日本語教育では「話さない」を【ない形】、「話します」を【ます形】、「話す」を【辞書形】として教えます。
また、形容詞の教え方も違います。
国語教師は、「形容詞」と「形容動詞」を教えます。
日本語教師は、「い形容詞」と「な形容詞」として教えます。
名詞の前につくとき、「~い」の形になるか「~な」の形になるかで区別します。
どうしてそんな風に文法の教え方(とらえ方)が違うかというと、
その方が簡単だからです。
前述のように日本語学習者は、日本語を「ツール」として使えるようになればいいので、そのために不要なものは大胆に省いて教える方が効率的です。できる限りシンプルにした方が良いのです。
楽しさ
国語教師にも日本語教師にも、それぞれ別の楽しさがあると思いますが、
私は、日本語を学ぶ学生を見ているときのワクワク感がたまらなく好きです。
初級の場合、日本語がほぼゼロの学生が、少しずついろいろな日本語を理解し、使えるようになっていく姿を目の当たりにすることになります。
教師側も、なんとか自分の日本語を理解してもらおうと努力し、また学習者の言いたいことを理解しようと努力します。
お互いに少しずつ分かり合っていくことが、いっしょに何かの作品を作り上げているような感覚があります。
中上級の学生とさまざまな話ができることも、とても楽しいです。年齢的に大人の会話ができることが多いですし、彼らは母国の文化や考え方、生活を教えてくれます。それがとても興味深いです。
国語教師は、若い人が人格形成をしていく過程に若干関われる…かもしれませんが、「何かができるようになった!」という分かりやすい達成感はありませんでした。日々、ジワジワと成長している(のかしていないのかよく分からない)姿を長い時間かけて見守る根気が必要だと思います。
もちろん国語教師の面白さもあります。たとえば夏目漱石や森鴎外といった文豪の作品をじっくり読みこむ授業などは、国語の時間ならではの醍醐味を感じるものでした。
が・・・私には、日本語教師の方が性に合っていました。
日本語教師の魅力については、こちらの記事にもまとめていますので、よろしければ是非お読みください!
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まとめ
いかがでしたでしょうか。
国語教師と日本語教師の違いを感じていただけたでしょうか。
上記のように、教える対象も授業の目的も方法も、まるで違うのです。
・・・私の希望としては、いずれ上級(超級?)レベルの日本語学習者といっしょに、日本の文学作品をゆっくり読んでみたいのですが、なかなかそのようなチャンスに恵まれません。
いずれ必ず・・・と思っています。