現在日本の小中学校には、外国籍の子どもや、日本国籍であっても様々な理由から日本語が「母語」でない子どもたちがたくさんいます。
その中で日本語指導が必要な児童生徒は、平成30年度で5万人以上いたそうです。(コロナ禍を経てもおそらく減ってはいないと思います)
彼らは「外国につながる子ども」などと呼ばれています。
私は以前、某地方自治体の小中学校で、そのような子どもたちの日本語教育に携わっていました。
その中で知った彼らの現状は、かなりシビアなものでした…。
来日した子どもの前に立ちはだかる壁
「外国につながる子」の背景は、さまざまです。
親の仕事の都合で日本へ連れてこられた子。
海外で生まれ育った、日系人の子孫。
外国籍の親(多くは母親)が、日本人と再婚したために、一緒に日本へ来ることになった子。
日本で生まれ育ったものの、親の母語が日本語でないために、家庭内では日本語をまったく使わない子。・・・・・・
一つだけ全員に共通しているのは、彼らは「自分の意志で日本へ来たわけではない」ということです。
大人である親は、自分の意志で来日します。
もちろん、自分の生活をより良いものにしようという気持ちを持って来日するのでしょうけれど、同時に、日本で自分が様々な苦労をすることは想像できたはずです。
ですから苦労もある意味、想定内の苦労といえるでしょう。
ところが親に同伴された子どもたちは違います。
彼らには親以上の、おそらく親の想像をはるかに超えた苦労・・・超えなければならない「壁」が何枚も待っているのです。
言葉の壁。
学習言語の壁。
文化の違いからなかなか学校になじめないという壁。
ホームシックの壁。
進学や就職の壁。・・・・・・
来日年齢にもよりますが、越えなければならない壁は、どれも高く厚い壁です。
その子がもしまだ小学校低学年なら、順応性は高いです。
割とクラスにすぐ打ち解ける子もいます。休み時間のちょっとした会話は(この年齢では深い話などしませんから)、なんとなくできるようになるのも早いです。(とはいえ、これも性格によりますが)
が!
そんな子達も、じきに、新たな壁に必ずぶつかります。
まずぶつかるのが「書き言葉の壁」、そして「学習言語の壁」です。
書き言葉の壁
子どもは言葉をふつう耳で「聞いて」覚え、それを口に出して「話す」ことで身に付けていきます。
日本人の子どもたちは、それがある程度できるようになった小学一年生(あるいは幼稚園ぐらい)から「ひらがな」を習って「読み」「書き」ができるようになり、いわゆる「4技能」をバランスよく伸ばしていきます。
外国につながる子達にとって、まず何より早く身に付くのは、
あいさつ等の生活に必要な最低限のサバイバル日本語。
そしてBICS、つまりそれが実際に使われる場面で、表情や動作等を手掛かりにして理解できる日本語能力。
4技能でいうなら「聞いて」「話す」生活のための技能です。
この技能はすべての教室での活動のベースになるものです。
先生や友達の言葉を理解し、自分の意志を話せなければ何も始まりませんから。それが先に伸びます。
もちろん、彼らも初期指導で日本語の文字を(ひらがなから)教えてもらいます。
でも表記を身につけるのは日本人でも時間がかかります。
ましてやある程度の年齢まで日本語ではない母語で育った子達にとってはなおさらです。
さらに多くの時間を要します。
しかも、がんばってひらがなを覚えたとしても、「書き言葉」であらわされた単語と、ふだん聞いて話している言葉、つまり「音声」で把握している単語とが、すぐにはうまく結びつかないようです。
話しているときは意味を理解している、知っている言葉なのに、それが文字で書いてあると分からない・・・私もそんな子たちをたくさん見てきました。
話している時は表情、動き、他の人の反応などを見ながら聞くので理解しやすいのです。ところが、それらの手がかりが全くなくなって字だけになってしまうと、たちまち難解な言葉になってしまうのです。
ということで、学校で配られるプリントなどの表記がきちんと読めて意味が分かるようになるまでは、日本人よりも時間がかかります。
・・・しかも、それがクリアできたとしても、またすぐ次の壁が立ちはだかります。それが「学習言語」の壁です。
学習言語の壁①
学習言語というのは、小中学校の授業や教科書、問題集の中で使われる言葉のことです。
教科書や問題集に見られる書き言葉は、ふだん日常生活で話すときの言葉遣いとは文体も語彙もかなり違います。
上で述べたように、子どもは言葉をふつう日常会話の中で覚えていきます。
ところが教科書には日常生活では聞かない言葉がたくさん出てきます。
難しい言葉が、聞いたことのない言葉遣いで説明されるのです。
また、たとえふだんから使っている語彙であっても、教科書に出てきたり先生が授業で話す際のその言葉の意味が、子供たちが日常生活で使うその言葉の意味と微妙に違うということもあります。
たとえば・・・
もんだい:( )に あてはまる かずを かきましょう。
あてはまる? あてはまるって、なに???
けいさんの しかたを かいてください。
しかた? しかたって、なに???
学習のめあてをかいてください。
学習のめあて? 学習って?・・・ああ、勉強のこと? じゃあ、めあてって?
こんな具合です。
また、音として知っている単語であっても、下のような例もあります。
自分の意見をまとめてください。
ん?・・・イケンって?? まとめてどこに置くの??? (周りの友達をキョロキョロ)
たとえば「まとめ」と言う言葉。バラバラのものを一つにする、という意味の言葉です。
学校では「自分の物は一か所にまとめておきましょう」なんて言う場面がありそうです。
ところが授業中に先生が「意見をまとめてください」という場合、具体的な物は何もそこにありません。
さらに、先生は「まとめ」と板書することがあります。
それは、テストの前に覚えなければいけない大事なポイントのことだったりします。
子どもにしてみれば「???」となるわけです。
もう一つ例をあげます。
考えを整理して作文を書きましょう。
整理? ・・・作文の前に掃除するのかな???(周りの友人をキョロキョロ)
「整理」と言う言葉。授業以外の時間に教師が使えば、それは「きれいにする」とか、「見た目を良くする」、という意味で使うことが多いと思います。
「ロッカーの中を整理しましょう」と言われれば子どもはロッカーの中に入れてある物を並べ替えたり、もしごみがあれば捨てたりして、見た目が美しくなるように物を置き直すと思います。
ところが授業で先生は「考えを整理して作文を書きましょう」なんて言ったりします。
「考え」は、見た目をきれいに置き換えることなど不可能です。
ここでもクエスチョンマークです。
そうした「分からない言葉」を、彼らは家で親に聞くこともできません。(親のどちらかが日本語のネイティブ話者ならいいのですが、そうでない子のほうが多いです)
学習言語の壁②
もちろん、そうした言葉は分かりやすく「やさしい日本語」で言い換えることもできます。そして、少し時間がたてば慣れてくるものだと思います。
本当に大変なのは、その先です。
教科書に出てくる専門的な学習言語は、そう簡単にはいかないからです。
小学校の算数でも、図形、かさ、分数、小数、面積、体積、速度、割合、比、対称、場合の数・・・とても難解な言葉がどんどん、どんどん、登場してきます。
日本人の子どもでも躓くことのあるこうした言葉とその概念を日本語で理解させるのは、本当に至難の業です。
(年齢や母国での学習歴によっては、母語に訳したとしても分からない可能性があります。)
文科省のJSL(※)カリキュラムによれば、体験も重視すべきとのこと。
言葉の辞書的な意味だけでなく、それを実感を持って理解するために具体的な物を使って、体験的に理解していくような学習活動を推奨しています。
もちろん、それはとても有効だと思います。
が、時間がない・・・・・。
圧倒的に時間が足りないと思います。
彼らだけ義務教育の時間が日本人の倍取れるならいいのですが、そうはいきませんから・・・・・。
ちなみに私が関わっていた自治体では当時、取り出しの特別指導としては最長で2年しか認められていませんでした。
※JSL:Japanese as a Second Language ➡ ご興味のある方は、ちょっと古いものではありますが、文科省のページに詳細がありますので、どうぞ。(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/003/001/008.htm)
学習言語で躓くと・・・
上記のように、会話ができていても読んだり書いたりになると本当にできなくなってしまう子どもたちは大勢います。
友だちとぺらぺら話しているのだから、授業の教師の話だって理解できるはず。
それなのに成績が悪いのは、不真面目だから。
もしくは何かしらの障害があるのか?
こんな風に誤解されてしまうこともあります。(何度も見聞きしました。)
一説によると、日常的に使う会話がそこそこできるようになるまでには2年。学校の授業についていくだけの日本語が身につくまでには5年かかる、と言われています。
が、これは環境にもよりますし、かなり個人差があると思います。
私の実感では5年でも難しいケースが多々あるように思います。
もちろん逆に、本人の並外れた努力(と才能)によって、みるみる日本語の力を向上させた例もあります!
が、後者はまれなケースだと思います。
学習言語で躓くということは、その後の長い学校生活で置いてけぼりになるということです。
当然進学にも響きます。
ということは、その先の就職にも響くということです。
以前、日本の学校で授業についていけずに落ちこぼれてしまい、進学がうまくいかなかった末、最終的に反社会的組織の末端に属することになったという外国につながる子どもの話を聞きました。
その子の学校での苦労を思い、悲しくなりました。
子どもの教育を受ける権利
私は子どもの日本語に携わることになった当初、
彼らが母国にいれば成し遂げられたであろう夢を、日本でもかなえられるよう支援したい!
と、思っていました。けっこう熱い思いで始めたつもりでした。
が、それは本当に難しいことだと実感しました。
世界には「児童の権利に関する条約」というものがあり、その中で子どもが教育を受ける権利も保証されています。日本も批准国です。
子どもは学ぶことで世の中の複雑なことも理解できるようになり、人生が豊かになり、未来の選択肢も広がります。
そして、あらゆる子どもがそれを実現できる世の中にするということは、
日本という国の未来にとってもとても良い事だと思います。
今、日本では少子化や働き手不足等、さまざまな問題がありますが、これからの日本社会をいっしょに支えてくれる外国につながる子ども達が、もっともっと注目されればいいなと思います。
そして、国には彼らにもっと投資をしてほしいなと思います。それは、日本の未来への投資でもあると思っています。
・・・なお後日、別記事で、彼らのシビアな現状第二弾をあげたいと思います!
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