世の中、日本語の教科書はいろいろあります。
独学者向けのものも各種あります。
もちろんどれも素晴らしいものでしょうけれど・・・
文字で書かれた教科書を使って独学するのはやっぱりキビシイだろうなあと思った話です。
街中で耳にした会話
先日、街中で聞こえてきた若い女性二人組の会話です。
「どうしよう、めっちゃ吐きそうなんだけど」
「え、やば」
・・・文字面だけ読めば、具合が悪くなってしまった子と、それに驚いた友だちの会話に見えるかもしれません。
が、この二人はとても明るい声で、嬉しそうに話しているのでした。
見るとはなしに見ると、二人で何やらスマホの画面をのぞきこんでいます。
おもしろい動画でも見つけたのかもしれません。
文字だけだと・・・
よく、「文字によるコミュニケーションは、声のトーンや表情が分からないから誤解を生みやすい」と言われます。
メールやSNSでのやりとりでは真意が伝わらず、誤解から喧嘩やイジメにつながることもあるかもしれません。
また、「マルハラ」と言われるハラスメントが今年に入って言われるようになりましたが、相手の表情や実際の口調が分からないが故の、受け手側の誤解も相当あるように思います。
(マルハラについては、こちらの記事「マルハラって知っていますか?ハラスメントの一種らしいのですが…」にまとめてありますので、よろしければどうぞ。)
私は日本語教師なので、「日本語」にまつわることであればすべて学習者に伝える「題材」になり得ます。
そこで、冒頭の会話もさっそく学習者に伝えてみました。
まず、文字だけで。
すると、もちろん「一人が具合が悪くなり、もう一人が心配している」と読み取ってくれました。
文面通りの正しい理解です。
が、次に私が、その二人のその時の明るい声を真似て再現すると・・・怪訝な顔に。
「吐きそう」という言葉を若者が明るいトーンで話している場合は、
(吐きそうなぐらい、つまり、めったにないぐらい、特別なぐらい)「驚いた!」「興味深い!」「おもしろい!」「すごい!」
といった意味で使っているようだと説明すると、不思議そうな顔をしつつも理解してくれました。
※学習者は「やばい」という言葉が良い意味でも悪い意味でも使われることは、既に知っていました。「めっちゃ」の意味も知っていました。
言葉は声とセット
で、改めて思ったことが。
文字だけの教科書だと、限界があるなあ・・・
ということです。
絵や写真が豊富でも、足りません。
やっぱり、音声なんですよね。
言葉は声とセットです。
教科書だけで勉強するのが難しいということは、つまり、独学は難しいということだと思います。
どんなに素晴らしい先生が素晴らしい教科書を作っても、ある言葉や表現の、口調による意味やニュアンスの違いまですべて網羅して伝えることはできないでしょう。
文字だけでは。
もし詳しく説明しようとすると、かなりの紙面を割く必要があります。
でも、生身の先生が一人いれば、解決です。
声で、いろんな口調で、伝えることができますから。
百聞は一見に如かず・・・ならぬ、一聞は百見に如かず、でしょうか(笑)
だから日本語教師が必要なのです!
・・・ということで、どんなにGoogle翻訳が優れていようとも、AI技術の進歩が進もうとも・・・独学には限界があり、(おそらく)語学には「生身の先生」が必要なのだと思います。
だから日本語教師が必要なのです!
・・・ところで、「生身の」教師である私も、プライベートレッスン受付中です。
もし東京・神奈川近辺で教師が必要な方は、ぜひご一報ください(笑)!
コメント