吉本所属芸人M氏の件から、とある日本語教師が考えたこと。

現役日本語教師の方

今(2024年1月)、世間(の一部)を騒がせている、吉本興業所属の芸人「M」氏。

この方の過去の行状に関していろいろと書き立てた某週刊誌を、

M氏は「名誉棄損」として提訴するそうです。

この一連の報道を横目で見ながら、日本人の国民性…的なことについて

改めて感じることがありました。

日本語教師は日本の文化や日本事情について学習者に伝えることもありますので、

自分の考えを整理するために書いておきたいと思います。

「空気を読む」ことと「ムラ社会」、そして「テレビ」についてです。

ちなみに、これは完全に一日本語教師の独り言のような感想です。の割に、長いです!

お暇な方だけお付き合いください…。<m(__)m>

「空気を読む」ことを大事にする日本人は多いです。

使い古された言葉ですが、日本人は昔から「ムラ社会」で生きてきました

狭い村の中で周囲との調和を重んじ、平和に、そして自分が「村八分」にならないよう、

注意深く周りを見ながら生きてきのです。

自分が目立って特殊な言動をしないだけでなく、周囲にもそれを求めることで、

言葉は悪いですが監視し合う雰囲気が作り上げられていたのだと思います。

最近よく聞く「同調圧力」…ですね。目立つ「出る杭」は、打たれてしまうわけです。

とはいえ、長年日本で大事にされてきた「空気を読む」ことには、もちろん良い面もあると思います。

ムラに何かが起きれば、全員で力を合わせて乗り切ったり。勝手な行動を慎むことで全体の秩序が保たれたり。(日本人が駅のホームで行儀よく列に並ぶ光景は、海外の人から驚かれます。イベント後のゴミを持ち帰り会場をきれいに保つ行動も称賛されます。)また、その場の空気を読むことが、相手に嫌な思いをさせない配慮になることもあります。

でも、一方で、悪い面も多々ありますよね…。

今回報道されているM氏の飲み会での出来事がもし事実なら、これも現代のムラ社会で起きた悪事のように感じました。

※ここからは、もし報道が事実だとしたら、という仮定で書きます。(M氏、というと既成事実のようですね…。ここからは便宜上、A氏に変えます!)

ムラには、頂点にそのムラの【長(おさ)】のような人がいるものですが、それが報道されている飲み会ではA氏になるのでしょう。

A氏がそこにいた女性に向けて発したとされる強烈な言葉。

「おれの子どもを〇め」

とてもひどい言葉だと思います。下品だし、気持ち悪いし、全くおもしろくもないし。

でも、きっとその場ではそれを「冗談」として笑って受け流さないと「いけない」空気があったのだと想像します。そういう空気というものは明確に言語化されなくても、【ムラの長】とそれを取り囲む【ムラ人】たちによって厳然と作られて、そこに「ある」ものです。

その場で冗談として笑えない、受け流せない人は「器が小さい」「つまらない人間」「場の空気を壊すノリの悪い人間」と扱われ、批判される・・・そういう多数派による無言の圧力があったことは、容易に想像できます。私も、そういう場面を経験したことがあるので。まさに現代版「ムラ社会」だと思います。

(折しも報道にある2000年代半ばごろは、「KY」という言葉が盛んに使われ出した頃だと思います。)

それは、とても異様で理不尽なことです。

先日、テレビを付けたら偶然このA氏が出ている番組をやっていたので(録画済みのもの)、物珍しさから(これからしばらく見られないだろうという思いで)少し見ていました。

その中でA氏が、B氏(ある芸人)が言ったことに反応して「殺すぞ」という言葉を使っていました。コンプライアンス的にいろんな言葉がテレビで使えなくなっているのに、この言葉は今もOKなんですね。

ここでB氏が「ちょっと待ってください。殺すぞって何ですか?いくらなんでもひどいです。撤回してください」と怒りだす…なんて流れには、ならなかったと思います。(その辺りで私はチャンネルを替えてしまったのですが)

もしここでB氏が本気で怒って番組の流れを止めていたら、殺すぞ、と言われた側のB氏が批判されたことでしょう

殺すぞ、と言ったA氏側ではなく。

言ったA氏も言われたB氏も、前提として「テレビだから、これでいい」という意識があるのでしょう。テレビの中の世界ではA氏は大物です。その大物と共演中のB氏にも「旨味」があったのかもしれません。そのスタジオには大勢スタッフがいたのでしょうけれど、このように放送されたということは、問題視されなかったのだと思います。これは、テレビの中の「ムラ社会」ではないでしょうか。。。

でも、その番組を流すのは公共の電波です

テレビの前には、ごく普通の、一般の社会が広がっています。一般社会では、いい年をした社会人同士がたとえ冗談でも「殺すぞ」と言うでしょうか?…少なくとも私の周囲では聞いたことがありません。

テレビの中にいる人は、そこを本気で考えてほしいと思います。

テレビのムラの「常識」とか「前提」みたいなものは、一般の、普通の社会での「非常識」である場合もあるわけですから。

件の飲み会についても、行けばムラの長にそういうことを求められる…長の周りを囲むムラ人達はそれを止めるどころか、あおる…そういう飲み会なのだと事前に知っていれば、参加をとりやめた人もいただろうと思います。それはごく一般的な社会で行われている飲み会の形ではありませんから。

最近ようやく、「おれの子どもを○めよ」のようなひどい発言が、完全なセクハラかつパワハラであり、それははっきり「嫌だ」「おもしろくない」「気味が悪い」と言えるような雰囲気が出てきているのは、良い事だと思います。でも、まだまだはっきりと言えずに嫌な思いをしている人は、実は多いと思います。

「近ごろはコンプライアンスとかハラスメントとか、すぐに言い出すから。生きづらい世の中になった」なんて言う人がいますが、これもその発言を聞く人に対して同調圧力をかけた言い方だと思います。当然、「ほんとですよね~」と同調してくれるものと思って、言っているのでしょう。

今回週刊誌に告発した女性のことを、「なんで何年も前のことを今さら言うんだ」と批判する人がいます。

また、「本当に嫌ならその時に拒めばよかっただろう」なんて言う人もいます。が、私はそれができる強い人と、性格的にできない人がいるのだと思います。できなかった人が、セクハラやパワハラがダメだと広く社会が認識し、かつ某男性アイドルが多数所属していた事務所で長年続けられてきた犯罪が明るみに出た今だから、ようやく「話そう」「話したい」と思ったとしても、何の不思議もないと思います。

ここから、すごく個人的な話になってしまうのですが、私には中学時代の苦い記憶があります。

不良(今と違って分かりやすい外見の「つっぱり」さん達)や、校内暴力などが社会問題化していたウン十年も前の話です。

クラスには5,6名の「つっぱり」がいました。その中の1人がボス。他の子達はその取り巻きでした。その子達が、同じクラスの1人の男子をいじめの標的にしていました。ボスが見ている前で、手下の男子が、殴る、蹴る。暴力でのいじめでした。

でも、やられている子は明らかに痛いはずなのに、笑ったりしていたんです。

そこにたまたま通りかかった教師が「おい、大丈夫か?」と声をかけました。

「大丈夫か?」って・・・。大丈夫なわけがありません。なのにその教師は暴力行為を止めるのではなく、ただそう聞いたんです。

それに対してなんと彼は「はい、大丈夫です」と答えました。「プロレスごっこです」と。

いじめっ子の方はニヤニヤして見ていたと思います。「大丈夫」と言われた教師は、それ以上踏み込んでいきませんでした。

クラスのそれ以外の子達は、私も含めて、それを見て見ぬふり。誰も彼を救おうと動きませんでした。自分がターゲットにされるのも怖いし、そのつっぱり達と関わり合いたくもないし、教師だって知っているのだから、と。そして何より、やられている本人が「大丈夫」だと言っているのだから、と。

その頃のことを思い出すと、何十年たった今でも苦しくなります。私達は、そのいじめられっ子をどんなに絶望させてしまっていただろう、と。自分が親になってから、特にその気持ちが強くなりました。

あの時、いじめられている本人は苦しいに決まっているのに、笑っていたのは何故だろうと考えました。

笑っていれば、本人も「これは、いじめだ。自分はいじめられているんだ。」とはっきり認識しなくて済んだから、ではないでしょうか? 自分の尊厳が踏みにじられていることをはっきりと自覚するのは本当に苦しいはずですから。そして、周囲の人にも自分が「いじめられている」と認定されてしまうことは、耐えがたい苦痛だったのではないかと思います。だから笑っていたんじゃないかな…。

実際にイジメた人も、それをはやし立てていた人も、いじめられた子を置き去りにしていた私のような周りの人間も、みんな同罪です。後悔しかないです。

いじめられた時の心の傷に、生涯苦しめられる人もいると聞きます。もし今、あの時いじめられていた子に訴えられたら、私は謝るしかないです。

「何年もたった今になって訴えるなんて」とか、「その時に拒め」とか、そういう声を聞いて、この話を思い出しました。

いじめとは違うという人もいるかもしれませんが、人に恐怖を与える行為。人を踏みにじる行為。人を貶めておいてそれを笑うよう強いる行為と、それを受け入れない方を悪く言う周囲の風潮。

この世の中からなくなればいいと思います。

10年後には、「殺すぞ」と言われて笑って受け流さなかった方でなく、

言った方が批判される「普通の」世の中になっていてほしい。

と、願わずにはいられません。

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